そういうときってあります。
逆に、あまり説明していないのに、すんなりわかってもらえたり、わかったりすることもあります。
あれって、どういうことなのだろうと思っていました。
多分、それが、どうして起こるのかということがなんとなくわかったので、説明してみます。あくまで、たとえですが。
世界は「ルービックキューブ」のようなもの
ルービックキューブってありますよね。
あれを6面揃えるのは、揃え方がわかっている人には、できることだろうと思います。
一方で、わかっていないと、揃えるのはむずかしい。
わかっている人には、説明はあまりいらない
で、わかっている人、揃えられる人には、説明はあまりいらないですよね。わかっているから。
わかっていない人に、口で説明するのはむずかしい
しかし、わかっていない人に、揃え方を口で説明するのはむずかしいですよね。
仮に、図解でもむずかしいかもしれません。
ビデオなら、わかってもらえるかも。
世界を「ルービックキューブ」だと考えると
そして、世界をそんな「ルービックキューブ」のように捉えてみると、わかっている人には、すぐわかるけれど、わからない人にはわからない。
そういうことはありますね。
そして、仮にわかっていても、できるかどうかはまた別の問題かもしれません。
わかる・わからないを、ルービックキューブで考えてみると
要は、わかっていることは、理解しやすい。わかっている人には、わかってもらいやすい。わかっていないことは、理解しにくい。わかっていない人には、わかってもらいにくい。
ということではあります。
ただ、ルービックキューブだと思うとですね、1面は揃えられる人、2面まで揃えられる人、6面まで揃えらえる人など違ってきますよね。
部分はわかるけれど、全部はわからないということもあったりしますね。
で、繰り返しになりますが、口では説明しにくい。
たぶん、わかるとき、わからないとき、というのは、こういったことが起こっている。
ミスコミュニケーションは、こういうことではないのかな
そして、それは、ルービックキューブ以外でも同じで、人の気持ちや仕事、人間関係、政治、経済、などなど、どういうことも結局そういうことなのではないかなあと。
こうやって考えると、自分がわからないときも、まだ面を揃える方法を知らないだけとなりますし、相手に伝わらないときも、相手がわかっていないだけということも言えるでしょう。
まあ、あくまでルービックキューブはたとえなのですが、きっと、ミスコミュニケーションというか、伝わらないことの多くは、こういうことなのではないかなあと、最近思っています。
だって、ルービックキューブの揃え方を知らない人に、口では教えられないでしょうし、教えられても、理解できる人は、そんなにいないでしょうから。