2017年12月3日日曜日

なぜ、人の話がわかったり、わかってもらえなかったりするのか。世界は「ルービックキューブ」のようなものだから。

人と話していて、相手の話がわからない。こちらの話をわかってもらえない。

そういうときってあります。

逆に、あまり説明していないのに、すんなりわかってもらえたり、わかったりすることもあります。

あれって、どういうことなのだろうと思っていました。

多分、それが、どうして起こるのかということがなんとなくわかったので、説明してみます。あくまで、たとえですが。





世界は「ルービックキューブ」のようなもの


ルービックキューブってありますよね。

あれを6面揃えるのは、揃え方がわかっている人には、できることだろうと思います。

一方で、わかっていないと、揃えるのはむずかしい。


わかっている人には、説明はあまりいらない

で、わかっている人、揃えられる人には、説明はあまりいらないですよね。

わかっているから。

わかっていない人に、口で説明するのはむずかしい


しかし、わかっていない人に、揃え方を口で説明するのはむずかしいですよね。

仮に、図解でもむずかしいかもしれません。

ビデオなら、わかってもらえるかも。


世界を「ルービックキューブ」だと考えると


そして、世界をそんな「ルービックキューブ」のように捉えてみると、わかっている人には、すぐわかるけれど、わからない人にはわからない。

そういうことはありますね。


そして、仮にわかっていても、できるかどうかはまた別の問題かもしれません。

わかる・わからないを、ルービックキューブで考えてみると


要は、わかっていることは、理解しやすい。わかっている人には、わかってもらいやすい。わかっていないことは、理解しにくい。わかっていない人には、わかってもらいにくい。
ということではあります。

ただ、ルービックキューブだと思うとですね、1面は揃えられる人、2面まで揃えられる人、6面まで揃えらえる人など違ってきますよね。

部分はわかるけれど、全部はわからないということもあったりしますね。


で、繰り返しになりますが、口では説明しにくい。

たぶん、わかるとき、わからないとき、というのは、こういったことが起こっている。

ミスコミュニケーションは、こういうことではないのかな


そして、それは、ルービックキューブ以外でも同じで、人の気持ちや仕事、人間関係、政治、経済、などなど、どういうことも結局そういうことなのではないかなあと。

こうやって考えると、自分がわからないときも、まだ面を揃える方法を知らないだけとなりますし、相手に伝わらないときも、相手がわかっていないだけということも言えるでしょう。

まあ、あくまでルービックキューブはたとえなのですが、きっと、ミスコミュニケーションというか、伝わらないことの多くは、こういうことなのではないかなあと、最近思っています。

だって、ルービックキューブの揃え方を知らない人に、口では教えられないでしょうし、教えられても、理解できる人は、そんなにいないでしょうから。