2018年1月6日土曜日

「文章力」をつけたいなら

「文章力」をつけたいなら


自分にはむずかしいかなと思うようなテーマについて書くことだと思う。

すぐに書けるような短い文章を書いても、文章力というか思考力が高まらないので、文章の質は高まらない。

ただ単に、SNSで日頃の話を発信しても、文章力は高まらない。もし高まるなら、今頃、SNSをやっている日本人は、みんな「名文章」を書けているはずで。

よくよく考えてソーシャルメディアで発信しているという人は話が別だけれども。

しかし、思考力がつくと、むずかしいこともわかりやすく書けるようになるはずだけれど、思考力は、そう簡単につかないというか。



「いい文章」を書くには?


「いい文章」とは?ということに答えるのはむずかしいと思うけれど、感動させるとかでないなら、そこにある種の「考え」や「新しい事実」などがないと、読んで良かったとか、「いい文章」とはならない。

わたしは、「うまい文章」と「いい文章」は違うように思っていて、いい文章を支えるのは、「思考力」で。
「うまい文章」は、読みやすいとか、テクニック的に良いとかいう話でしょう。
うまくないし、読みにくいけれど、読んで良かったという文章もある。

だから、自分にはむずかしいというかよくわかってはいないことだけれど、興味があって書きたいと思うことを、うんうん唸って書いてみる。
答えが見えない中を書く。
そういう苦しいことをして、自分の「思考」を、明確にしていく。

よくわからないことを書きながら、考える


そんな作業をすると、少なくとも、思考力がついていく。
本を書くのが苦しい・大変と言ったりするけれど、文章を書くのが苦しいのは、表現できそうで、できなさそうなことを書くから苦しいのであって、長いとか短いとかはあまり関係ない。

自分が理解していること、わかっている話を書くのは、別に大変なことではない。
よくわからないが、書くことで考えて、答えのようなこと、結論を見つけていく、表現を考えていくのが、苦しく楽しいわけで。

アウトプット力とか文章力とか、そういうものは、考えながら書くということで思考力を鍛えないと、結局、使える力にはならない。
だって、説得力がないから。人も自分も動かすことにつながらない。
単にうまい文章を読んだところで、感動したとしても、使えないなら、仕事や人生には、潤いにはなっても、成果にはつながらないから。